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中国国内での反日暴動
時事通信社の記事から引用。
17日、前日の反日デモでガラスを割られた日本料理店(中国四川省成都市)

17日、前日の反日デモで被害を受けた日本料理店の店内。右奥の冷蔵庫が壊され、床に瓶と破片が散乱している(中国四川省成都市内)

――――
(以上、引用終わり)
一連の中国人の動きはデモではない。暴動である。さらには、日本やドイツのような「普通の」法治国家であれば、最低でも器物破損の罪にとわれる犯罪である。
写真がすべてを物語っている。
17日、前日の反日デモでガラスを割られた日本料理店(中国四川省成都市)

17日、前日の反日デモで被害を受けた日本料理店の店内。右奥の冷蔵庫が壊され、床に瓶と破片が散乱している(中国四川省成都市内)

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(以上、引用終わり)
一連の中国人の動きはデモではない。暴動である。さらには、日本やドイツのような「普通の」法治国家であれば、最低でも器物破損の罪にとわれる犯罪である。
写真がすべてを物語っている。
日本vsデンマーク戦のドイツでの報道(ワールドカップ)

6月24日に行われた日本対デンマークの試合は、ドイツではZDFで放映された。興味深かった点は次の二点である。
1.オリバー・カーンによる解説。
2.長谷部へのドイツ語でのインタビュー。
1.オリバー・カーンは、かつて代表チームで1994年から2006年のW杯までゴールキーパーを務めた(控えとしても含めて)。特に2002年W杯では、その存在感と名プレーでドイツ代表チームの象徴的存在となった。その彼が評するに、日本の一点目の本田によるFKは、どんなキーパーでも止めることは難しかったであろうとのことである。本田の素晴らしいシュートだけではなく、相手チームの壁に着いた日本選手の「隠れたファインプレー」のためにキーパーは体勢を崩され、逆方向に飛ぶボールに追いつけなかった。
また、日本代表チームGKの川島をverrückter Typと評していたことが印象深かった。verrücktとは、英語で言えばmadやcrazyに当たる言葉である。もちろん、ここでは良い意味で言っているのだろう。例えば、「闘争心に溢れたタイプ」とか「負けん気が強いタイプ」という意味で。あるいは、もしかしたら、川島がPKで得点を決められたときに悔しそうに地面を叩く様子を、アナウンサーが「怒り狂うサムライ」と言い放ったことがカーンの脳裏にあったかも知れない。いずれにせよ、川島は「非常に素晴らしいキーパー」であるとのことである。

また、この日はデンマークだけではなくイタリアも予選敗退が確定した。「イタリアにもデンマークにもがっかりした」という、苦笑いを浮かべながら出てきた発言に、カーンの本音を垣間見た。
2.長谷部選手が2008年からブンデスリーグのヴォルフスブルグに所属しているからであろう、ZDFは長谷部選手に、試合後、インタビューをしていた。「大変喜ばしい」「日本代表は最高のチーム」「信じられない(嬉しそうに)」と短い言葉で答えていた。しかし、インタビューアーの質問からはいくらか外れた回答であった。おそらく、2年半の短い滞在期間であることを鑑みれば、長谷部選手は早口でまくし立てているドイツ人の質問をよく理解できていなかったのだろう。しかし発音は綺麗であった。いわゆる「上から目線」で言ってしまったが、ドイツ語の発音については、私も人のことは言えない。
さて、これから日本代表チームがどこまで行けるか、非常に楽しみである。
テーマ:FIFAワールドカップ - ジャンル:スポーツ
小沢一郎 外交感覚ゼロの政治家
小沢一郎氏が今月10日、全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団とのやり取りでキリスト教やイスラム教に批判的な発言をした。この件についてシュピーゲル誌(SPIEGEL)もAP記事引用の形で報告している。

Führender Regierungspolitiker kritisiert Christentum
与党幹事長のキリスト教批判
Scharfe Kritik vom Generalsekretär der japanischen Regierungspartei: Das Christentum sei "ausschließend" und habe "lähmenden Einfluss" auf die westliche Gesellschaft, sagte Ichiro Ozawa.
日本の与党幹事長の厳しい批判・・・「キリスト教は『排他的』であり、さらに、西洋社会を『無気力にする影響』を与えた」、こう小沢一郎は語った。
さらに続けて事の経緯が幾らか詳細に記されている。

――――
ドイツ誌が、自国から遠く離れた国の一政治家の発言をわざわざ報道する理由、それは、この件の異様さにある。公的な立場にある政治家が、細心の注意を持って扱わねばならぬ宗教問題で、個人的見解を公けにしたその異様さに。
具体的論評は次の機会に譲ることにしよう。
Führender Regierungspolitiker kritisiert Christentum
与党幹事長のキリスト教批判
Scharfe Kritik vom Generalsekretär der japanischen Regierungspartei: Das Christentum sei "ausschließend" und habe "lähmenden Einfluss" auf die westliche Gesellschaft, sagte Ichiro Ozawa.
日本の与党幹事長の厳しい批判・・・「キリスト教は『排他的』であり、さらに、西洋社会を『無気力にする影響』を与えた」、こう小沢一郎は語った。
さらに続けて事の経緯が幾らか詳細に記されている。

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ドイツ誌が、自国から遠く離れた国の一政治家の発言をわざわざ報道する理由、それは、この件の異様さにある。公的な立場にある政治家が、細心の注意を持って扱わねばならぬ宗教問題で、個人的見解を公けにしたその異様さに。
具体的論評は次の機会に譲ることにしよう。
ドイツのポップカルチャー(1990年代後半)
渡欧前、私のドイツに対する印象はすべて、古典文化に限定されていた。20世紀前半までの文学、哲学、そして音楽。なぜなら、私の関心領域はまさしくそこにあったし、今でもそこにあるのだから。
日本でドイツ語を学んでいた時、ドイツ語の(ドイツ人)先生が呆れて、「あなたのドイツ語はゲーテ時代のドイツ語、それにドイツは古典文化だけで成り立っているものじゃない」と私に言ったのを覚えている。無論、冗談めかしていたが、幾分本気であった。
確かに彼女が言ったことは正しい。一国は決して古典文化だけで言い尽くされるものではない。それどころか、今を生きる我々には、現在進行している物事こそが、主要関心事になるのではなかろうか。文化面から見れば、例えばポップカルチャーなど。
古典文学やドイツ観念論哲学というフィルターを通してしかドイツを見ていなかった私には、ドイツ大衆文化との最初の出会いは、やはり大きな印象をもたらした。最初の出会い、それはNHKの「ドイツ語会話」という番組のエンディングに使われていた曲であった。
バンド名はDie Prinzen(ディー・プリンツェン)。曲名Wir sind überall(直訳すれば「われわれはどこにでもいる」)。英語圏のポップスにはない、ドイツならではの独特な何かを感じ取った。1.無機質なサウンド。Kraftwerkから影響を受けたのであろうか。2.コーラスのメロディーライン。これは英語の歌詞を基調としていては出てこないものであった。
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ちなみに、この曲は1990年代後半のものである。従って、アクチュアルと言うには、幾らか古い。
今のポップカルチャー?それには答えきれない。私はすでにドイツ大衆文化への興味を失っているし、それに、ドイツのポップ音楽ややロックには、私の趣向はそぐわないようだから。ロックはドイツ語のせいであまりにも重々しく感じられ、またポップスは、もともとこのジャンルを聴かない私には理解し難い。
しかし、ここで紹介した曲には、様々な意味で思い入れがある。
私のドイツポップカルチャーとの最初の出会いと言う意味で。
日本でドイツ語を学んでいた時、ドイツ語の(ドイツ人)先生が呆れて、「あなたのドイツ語はゲーテ時代のドイツ語、それにドイツは古典文化だけで成り立っているものじゃない」と私に言ったのを覚えている。無論、冗談めかしていたが、幾分本気であった。
確かに彼女が言ったことは正しい。一国は決して古典文化だけで言い尽くされるものではない。それどころか、今を生きる我々には、現在進行している物事こそが、主要関心事になるのではなかろうか。文化面から見れば、例えばポップカルチャーなど。
古典文学やドイツ観念論哲学というフィルターを通してしかドイツを見ていなかった私には、ドイツ大衆文化との最初の出会いは、やはり大きな印象をもたらした。最初の出会い、それはNHKの「ドイツ語会話」という番組のエンディングに使われていた曲であった。
バンド名はDie Prinzen(ディー・プリンツェン)。曲名Wir sind überall(直訳すれば「われわれはどこにでもいる」)。英語圏のポップスにはない、ドイツならではの独特な何かを感じ取った。1.無機質なサウンド。Kraftwerkから影響を受けたのであろうか。2.コーラスのメロディーライン。これは英語の歌詞を基調としていては出てこないものであった。
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ちなみに、この曲は1990年代後半のものである。従って、アクチュアルと言うには、幾らか古い。
今のポップカルチャー?それには答えきれない。私はすでにドイツ大衆文化への興味を失っているし、それに、ドイツのポップ音楽ややロックには、私の趣向はそぐわないようだから。ロックはドイツ語のせいであまりにも重々しく感じられ、またポップスは、もともとこのジャンルを聴かない私には理解し難い。
しかし、ここで紹介した曲には、様々な意味で思い入れがある。
私のドイツポップカルチャーとの最初の出会いと言う意味で。
呼称問題について(「中国人」と「シナ人」)
ドイツ語で日本人への蔑称はJaps(ヤプス)である。この事実に対して、しかし私は怒りも感じなければ、幻滅もしていない。
理由――日本人(Japaner)という中立的呼称が、もともとの中立的意味合いで使われていることを、間接的に証明しているから。つまり、ドイツ人が「日本人」という言葉を、軽蔑の意味合いをこめて発したい時、彼らは、わざわざ、人工的な言葉、Japsを使用せねばならない。
翻って、「中国人」について。ドイツ語では、この言葉に対応する人工的な蔑称は存在しない。その代わりChinese(ヒネーゼ)という、中立的であるべき言葉に、(敢えて言わせてもらえれば)すでに否定的意味合いが幾らか含まれている(無論、個々人によって幾らか差はあるが)。
人が言葉を使う際、その言葉には知らず知らずの内に自分の――その言葉が指し示す事象に対しての――態度や評価が含まれてしまうのではなかろうか。
「『シナ人』は蔑称だ、『中国人』が正当で中立的言葉だ」、という声を聞く。しかし、ここで考えてみよう。日本人が「中国人」という言葉を発する時、どのような意味合いが含まれていることの方が多いだろうか?特に我々が中国の負の要素に注目している時、例えば、地球規模での環境破壊、チベット人への弾圧、そして汚染された食品や薬品を平気で製造するメンタリテーなどなど(しかも、残念ながら、この国は大抵はこのようにイメージされる)。
「シナ人」という呼称は、本来中立的意味である。しかしそれが時代の変遷で「軽蔑的」と受け取られるようになったのではなかろうか。決して、否定的意味合いをもたせるために、人工的に作られた呼称ではない。
―――
幾らか冗談めいた事を言わせてもらえれば、「中国人」という中立的名称そのものが――もしも中国が世界貢献の代わりに、エゴ剥き出しの政策を取り続け、その結果として世界中で否定的評価を受けている限り――、「蔑称」となってしまう日が来るのではなかろうか。そして、それに代わる新しい「中立的」名称が発明される時が訪れるのではなかろうか。「シナ人」「中国人」、そして今度は・・・。
理由――日本人(Japaner)という中立的呼称が、もともとの中立的意味合いで使われていることを、間接的に証明しているから。つまり、ドイツ人が「日本人」という言葉を、軽蔑の意味合いをこめて発したい時、彼らは、わざわざ、人工的な言葉、Japsを使用せねばならない。
翻って、「中国人」について。ドイツ語では、この言葉に対応する人工的な蔑称は存在しない。その代わりChinese(ヒネーゼ)という、中立的であるべき言葉に、(敢えて言わせてもらえれば)すでに否定的意味合いが幾らか含まれている(無論、個々人によって幾らか差はあるが)。
人が言葉を使う際、その言葉には知らず知らずの内に自分の――その言葉が指し示す事象に対しての――態度や評価が含まれてしまうのではなかろうか。
「『シナ人』は蔑称だ、『中国人』が正当で中立的言葉だ」、という声を聞く。しかし、ここで考えてみよう。日本人が「中国人」という言葉を発する時、どのような意味合いが含まれていることの方が多いだろうか?特に我々が中国の負の要素に注目している時、例えば、地球規模での環境破壊、チベット人への弾圧、そして汚染された食品や薬品を平気で製造するメンタリテーなどなど(しかも、残念ながら、この国は大抵はこのようにイメージされる)。
「シナ人」という呼称は、本来中立的意味である。しかしそれが時代の変遷で「軽蔑的」と受け取られるようになったのではなかろうか。決して、否定的意味合いをもたせるために、人工的に作られた呼称ではない。
―――
幾らか冗談めいた事を言わせてもらえれば、「中国人」という中立的名称そのものが――もしも中国が世界貢献の代わりに、エゴ剥き出しの政策を取り続け、その結果として世界中で否定的評価を受けている限り――、「蔑称」となってしまう日が来るのではなかろうか。そして、それに代わる新しい「中立的」名称が発明される時が訪れるのではなかろうか。「シナ人」「中国人」、そして今度は・・・。







